2011年09月11日

【自由自在】+【4】 『ゆるみ』 崩れ 流れ 動く

【自由自在】

この動きを野口体操や竹内レッスンでは「背中の百面相」と呼んでいた。百面相と云うくらいに、からだが実に様々な表情を見せている。

けれどもこれは百面相をしようと意識して動いてはいない。「ああしよう」「こうしよう」と頭で思い描いて動かしている訳でもない。その時々に「動きたいように動いている」だけだ。けれども、動きたいように動くって初めての人にはとても分かり辛いかも知れない。



「動きたいように動いて下さい」と云われると、たいていのひとが、回りの様子を伺ったり、どう動いたら良いか考えたり。そうしてから怖ず怖ずと動き出す。回りを伺うのも動きを考えるのも、からだの動きには違いないから、そうしたい(うごきたい)ならそれで構わないけど、そうしたくてそうしているのか?そうではなくて無自覚に、どう動かすべきか答えをさがしているのだろう。

答えを出してから動いたのでは、自由自在は不可能である。動きに先立って決められた答えの中に、動きが収められてしまう。自分で自由自在に動きたいと思いながらも、初めから「自由自在」と云う枠の中に自分を閉じ込めてしまう。これを不自由な「自由自在」とでも呼べばいいのか?頭がこんがらがる。

先ずはスターティングポジション。よつばいになって胴体の中身の緊張を緩める。首・肩・背中・腰の力を抜いて重さに任せて胴体をぶら下げる。息を深く吐く。自分なりに力が抜けたと思えれば好い。「スタンバイOK!」

yotubai.01_01.jpg

「いざスタート!」となるのだが、その瞬間が難しい。スタンバイでちからが抜けているので、動きだそうとする瞬間、無意識のうちにからだに力を入れようとしている自分に気がつく。「動くためにはからだに力を入れて動かさなければならない」と云う、脳に書き込まれた指令が自動的に(無意識に)発されるのだろう。そのまま動き出してしまえば、既に脳に描かれた地図や図式に沿って、からだをうごかすことになる。新たな動きや思いがけない動きの生まれ出る可能性は、あらかじめ閉ざされてしまう。

自我意識は、既に把握されている範囲の外にからだが動き出すことを嫌う。無意識のうちに緊張によるストップがかかり、それでも踏み出そうと意志するとき、高い緊張感に襲われる。こうなってしまうと、からだは固まり身動きがつかなくなり、普通はからだを動かすことを諦めてしまう。

ところが、私はここに新たな動きの誕生のチャンスをみる。緊張の次元の高まったとき、それはダムに水が満杯になったときと思えばよい。その瞬間に内圧を押しとどめようとする緊張(=からだの力)を一挙に抜いてしまう。ダムであれば水門を一挙に開く。

つまり、スタンバイの姿勢を崩すのである。支えになっている腕や脚の柱を外し、全体のバランスを崩してしまう。後は流れ出したからだの動きの勢いに任せて、「動きたいように動け」ばよい。その勢いはからだを駆け巡り、型にはまらぬ多様な動きとなってからだを内側から突き動かす。

自分を取り繕おうとする自意識は、からだの流れに溶け去り、動きと自己との区別や距離は無くなる。自由自在の喜びがある。

思う存分動いたら、ゆっくり休息のポーズ。
写真は「ネコのあくびのポーズ」。

yotubai01._02.jpg

【余談】
『動き出すためには緊張ではなく、力を抜くことが先ず必要である!』と大きな声で叫びたくなる。
私たちの脳みそには「動き出すために必要なのは力を入れることである!!」と書き込まれているようである。これはからだの事実と照らし合わせれば間違いである。動きが始まるためには先ず、それまでの姿勢や緊張状態(バランス)を一旦崩さなければ、新たな身動きは不可能である。信号待ちのときにでも是非試して見てほしい。歩き出そうとする瞬間、僅かだが脚腰のバランスを『ゆるめ』て崩してから、脚を進行方向に振り出していることを。さらに『動き出すためには先ず力を抜く』ことを意識して歩き出してみてほしい。歩き出すのがとても楽になる。





posted by セトジマミツル at 16:41| Comment(0) | ストレッチ体操 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。