勢いに充ちた、そのひとならではの表現を、姿勢と呼ぶ。
『四股の姿勢』から、わずかに腰を落とす。全体重が地面にかかり、両足の裏から反動が帰って来る。腰を持ち上げずに堪(こら)えれば足腰に力が充ち、反動の勢いは、からだの内側を立ち登り、肩を通じて腕を抜けて指先から迸(ほとば)しり出て外部(の対象)に向かう。
勢いの通り過ぎた胴体は空っぽとなり、肩から先の腕は吹き流しのようにフワリと落ちる。
勢いの通り過ぎた胴体は空っぽとなり、肩から先の腕は吹き流しのようにフワリと落ちる。
からだ全体の表情からは、曖昧さや不透明さ・だらしなさが払拭され、からだ全体の輪郭がはっきりと立ち上がってくる。この在り様を舞台用語では、『からだが決まる』と云う。能舞台での演者はこのように、からだ全体に力を満たした状態で演技をしなければならない。これも舞台用語をつかえば、『からだの集中の次元が高い』状態と云う。
そして自分の深みを表現するならばその内容のもつ勢い(エネルギー)に拮抗するだけの力を、からだが持てなければならない。
表現の通り道としてのからだは緊張によってその通路が閉ざされることの無いように、日常的なからだの自己イメージを超えて大きく広く支えられ、開け放たれていなくてはならない。
そのためには集中への準備段階として、からだ全体が変化に対して自在に動き対処できるよう、緊張を『ゆるめて』解きほぐしからだの感覚を研ぎ澄ませておかねばならない。
結論を少々急ぎすぎ、舌足らずかも知れないが、、、、「真実本当の自分を表現したいと思うならば、日常的な力ずくの表層的な頑張りでは到達できない、より深い次元でのからだの集中が求められる。表現をする喜びと開放感はここにある。」と、私は思っている。