
で、blogの記事を書き出すまでに数日が過ぎました。
おそらく、自分自身にとって本当に良いものに出会った時って、こういうものなのだろうと思いました。
直ちにあれこれ説明や解釈が出来たり、「素敵〜!」なんて直ぐさま言葉に出来るのは、自分の都合や好みで良し悪しを判定しているに過ぎないのです。「息を呑む」という大切な出会いを現わす日本語があります。呑み込んだ息を吐いて言葉になるまでには時間が必要になります。
写真ですが、この足・脚・肢はまるで樹木の幹のよう。足裏は地中に根を張ったように地面にピタリと吸い付き、脚はどこも突っ張ったり頑張ったりすることなく、すんなりと伸びやか。幹(体軸)は脚から股関節を越えて胴体を貫いて、枝葉が風に酷く煽られても「どこ吹く風」で不動のままと云う感じ。
直ちにあれこれ説明や解釈が出来たり、「素敵〜!」なんて直ぐさま言葉に出来るのは、自分の都合や好みで良し悪しを判定しているに過ぎないのです。「息を呑む」という大切な出会いを現わす日本語があります。呑み込んだ息を吐いて言葉になるまでには時間が必要になります。
からだのことは、自分で満点付ければいいんです。ただし基準を外部に求めないこと、いいと思えればそれで良いんです。
もう一つ、100点付いたら、後生大事に仕舞い込んだりしがみ付いたりせずに捨てちゃうこと。捨ててもどこかに行きはしませんから。それに満点にしがみ付いていると、新しい満点が出てこなくなりますから。