2011年08月07日

【10】 『膝で胸を打つ』

「お尻の妙なる響き」が片足で立つ練習とすれば、こんどの動き「膝で胸を打つ」は歩く(走る)練習。

歩くときは、地面を踏む反動(反発力)が体重を支えている。地面を踏む反発力とからだの重さ(重力)がうまく釣り合っていれば、筋力によってからだを持ち上げ続ける必要はない。(いくら歩いても疲れない)

また、姿勢を支えるのは呼吸による内圧と骨格である。ここでも筋力は姿勢の微調整役だ。(頑張りのないの伸び伸びとした姿勢)

推進(前進)力は、進行方向に向かう惰性(慣性運動)と、脚をを前方へと振り出す直前に足先で地面を蹴るスナップ力である。

解説が長いけど、この動きはこのくらいの前置きがないと、何がなんだか判らないと思う。





なんと云っても動きが軽い!振り上げられた(投げだされた)脚は胸に向かって弧を描くように折り畳まる。そのまま真下に落下しながら弧を描き前方に一歩踏み出される。

踏み出された足に体重が移動することで、地面からの反動を受けたからだはその勢いで新たに直立し、反対側の脚が振り上げられる。繰り返しである。

連続で動いている映像を良く見ると、脚先(足)が円運動をしているのが判る。まるで両足が交互に車輪の両輪の役割を果たしているように。

そして振り出される直前に後ろ足先は、足先のスナップで進行方向へと地面を蹴っている。これが推進力となる。

歩くときは、足(先)の回転ライン(円)が、半ば地中を通過している。走る時は高速艇が水面から浮き上がって水上に船体の全容を表わすように、回転ラインは地面を転がり出す。

走る早さを求めるならば、この回転ライン(車輪)の回転数をどれだけ上げられるか。脚の回転を上げるには、どれだけ回転を妨げる事なく滑らかに脚が動くことが出来るかが勝負。

結局これも『ゆるみ』が基本。余計な筋肉の増強は邪魔にしかならない。『ゆるみ』を基本にして走り込めば、必要な筋肉は自然に発達するだろう。

この動きは、「歩く」と「走る」の境界線上を行く動きである。いずれにせよ、「立つ」「歩く」「走る」は、個々バラバラの事象ではなく、必要とされる行動の速度に応じた、からだ=『ゆるみ』の変容である。

ちょっと難しいけど、いまの私にはこれ以上に、かみ砕いた解説は難しい。

けれども、この説明は「どんなに歩いても疲れないし気持ち良い」「どんなに走っても疲れないし気持ち良い」そんな動きの可能性に繋がる。

そのためには『骨(骨格)の力』の解説を補わなければならないだろう。それはまたの機会に。

私は「歩くことも走ることも、本来は気持ち良く開放感を伴う動きだ!」と云いたいのだが。だから歩くこと走ることを苦にしている人にはとくにこの説明を理解して欲しい。

ここまで苦労して読んでくれたなら(理解できなくても構わない)、せっかくだから試しにこの回転ラインを意識しながら、歩いて(走って)みて欲しい。何かが変わるはず。


要点は?


posted by セトジマミツル at 16:00| Comment(0) | ストレッチ体操 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月20日

【11】 『ゆ』のうごき

この動きにコメント付けるのに困って二週間過ぎてしまった。

野口体操教室では「おへそのまたたき」の名称で、短い(腹)筋緊張と身体の慣性運動についての説明がされていた。私の視線と脳みそは、そのときの説明に凝り固まっていて、この動きに新鮮な眼差しを向けることが出来なくなっていたようである。

せっかく野口先生から受け取ったものなのに、その意味付けを固定することで、この動きを「陳腐」なモノと見做している私がいた。要反省!


これは常識的に云えば「からだを起こす」「からだを持ち上げる」動き。しかしこれらの言葉には「自発的努力(意思的緊張)によって」と云う意味合いが感じられる。

「からだを起こされる」「からだを持ち上げられる」と他動的(受動的)な言葉を重ねたほうがこの動きにはピッタリではないか。誰かの力で胸を掴まれて、持ち上げ引き起こされる。背中を押されて助け起こされる。そんなふうに見たほうが理解の枠組みに納まりやすいのでは。ゾンビの目覚めや憑依現象を連想する人もいるかも知れないが、決してホラーでも神秘でも無い。他律的に見える動きではあるが。

動き始め、腕を持ち上げる反動で背中が地面を押している。押せば押し返される(作用反作用)。実際に床から押し上げられているわけである。同時に腹筋(群)が緊張し進行方向へと胴体は加速される(筋収縮力)。胴体が動き出したならば、腹筋は緊張をやめて弛緩。胴体はゆるみ自在に変容しつつ惰性によって前傾する(慣性運動)。

この動きは見よう見まねで是非やってみて欲しい。腕を頭上から両脇へと移動するのと、起き上がるときの腹筋の緊張のタイミングとをあわせるのが、慣れないうちは難しいかもしれない。それでも諦めずに試してみてほしい。最初はギクシャクとして起きるのに苦労するかもしれない。けれどもその分上手く「行けた!」ときの開放感と心地よさがとてもはっきり判ると思う。連続しても息切れや疲労は無く、滑らかに行ったり来たりを繰り返しているうちに、からだ全体の緊張がほどけて息も深くなる。

注意点は、頭・首は後傾したまま動きのあとを着いて来ること。頭から先に起きてこないで欲しい。それと、腹筋の緊張時間と収縮量は出来るだけ短く小さくしてみて欲しい。起きることを急いで固くなることの無いように、たっぷりゆったりと動いてみて下さい。

からだの緊張弛緩の共同が無理なく滑らかに繋がったとき独特の快感が生まれる。この心地良さ(快感)に満たされた状態、ないしは心地良さ(快感)そのものを、私は『ゆるみ』と呼んでいる。『ゆるみけーしょんの』動きが良く出来たか否かの判断基準はこの心地良さにある。良否の基準を他に求める必要はない。自分で心地良いと思えたときが動きが良く出来た証拠である。廻りで見ている人にも『ゆるみ』が伝染し、見ていて気持ちがよい。さらに心地良さを深めたくなる。

一般的に体操や運動には頑張りや意志・鍛錬・努力と云うことばがくっついているように思う。『ゆるみけーしょん』体操は「あなた任せ」「成り行き任せ」の動き(他動的・他律的)が中心である。『ケ・セラ・セラ』体操でもある。




posted by セトジマミツル at 11:05| Comment(0) | ストレッチ体操 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月03日

【肩凝り】+【1】 ユラユラ ユルユル フワァー

おのおのの動きに、更にコメントを重ねて行こうと思う。追記の第一弾は、 『ゆ』の動画 【1】 から。

【肩凝り】

肩凝りは、無理(無自覚)な緊張の持続によって、肩や首筋辺りの筋肉が凝り固まってしまった状態である。
痛みは、「もうこれ以上、無理を強いるのは勘弁して!」と云うからだからの訴えである。

burasage01_01.jpg

この写真は、【1】の動きの途中、上半身の『ぶら下がり』の姿勢。
上半身の力(緊張)が抜けて、上体が股関節のところから前下に垂れ下がって(ぶら下がって)いるのがよく分かる。

腕も重力に任せて垂れ下がり、頭は頂点を真下にして、地球の中心方向へと重力によって引っ張られている。
肩と首廻りの筋肉は、腕と頭の重さによって自然に引き伸ばされる。
さらにユラユラと揺らすことで(動画【1】参照)、肩や首廻りの余分な緊張(しこり・張り)がほぐされる。
肩や首は緊張から開放されて、とても気持ちの良い動きだ。

ぜひ肩凝りの人に試してみてほしい動きである。
けれども肩凝りが常態化してしまっている人には、肩の力を抜く感じがなかなか実感できないかもしれない。
力を抜く感覚が分かっていればそもそも肩凝りにはならない。
肩や首の痛み(不快感)を和らげようとして、普通は回したりひねったりの動きをするが、ここではそれはしない。筋力(緊張努力)でしこりや張りを直すのではないから。
あくまで、地球の引力に任せて肩の力が抜ける感じ(『ゆるみ』の感じ)を自分のからだの中で探ってみてほしい。

あまり意識しないと思うが、私たちは何をするにも肩・首の厄介になっている。普段はこき使うばかりに意識を向けているが、たまには肩・首の意見(状態)に耳を傾け、その労をねぎらい充分に休息を与えてあげてほしい。そうすれば、これまで以上にのびのびと自分の活動を楽しめるようになるだろう。

ただし何もしないことが休息ではない。肩を休めるようなからだの動きを見つけて実行するのが、からだへのねぎらいであり感謝でもある。

『ゆ』レッスンの参加者の中には、「毎週の整体院通いの必要が無くなった」という人や、「レッスン受けてマッサージ費用を得した」なんて云う人が、案外に多い。

『ゆ』は肩凝りを治すためのものではないが、肩凝りをきっかけとして、自分のからだとの付き合いが始まるのであれば、それも悪くは無いかも。




posted by セトジマミツル at 00:16| Comment(0) | ストレッチ体操 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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