2011年09月04日

【骨】+【2】 正体を失う!

【骨】

この姿勢、上半身は力が抜けている。
(写真は動画【2】の途中)垂れ下がった上体を支える支柱は脚の骨である。脚の骨が自重を支えてくれれば、実は下半身の力も抜ける。

股関節から膝までの大腿骨、膝下には脛骨(けいこつ)、この二本の骨が継ぎ合わされて一本の柱となり、全体重を支えている。布団を物干し台に干し架けるように、左右一対の骨柱の上に股関節を折り目にして、下半身の肉布団と上半身の肉布団が振り分けられている。

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腰のところでからだを二つ折りに畳んで、雑巾のように物干しにぶら下がっていると云ったほうが分かりやすいかも。ともかく、脚の骨を支柱に股関節を支点として、からだ全体の中身が二つ折りになって、もたれ掛かっているのである。(実際のところは、脚の筋肉が垂れ下がってはいないが、当人はそんな感じで動いている。)

からだ全体の背面側は、自重によって引き延ばされる。上半身の背中側(尻・腰・背筋・首筋)、下半身は脚の裏筋(尻・腿・膝裏・ふくらはぎ・アキレス腱)の全てが、同時に伸張させられている。

この姿勢で膝を小さく屈伸して、支柱となる脚の骨を揺すぶってやれば、骨柱に乗せ架けられた肉布団は、風に揺れる洗濯物のように(或は弥次郎兵衛のように)、ユラユラと動き背面の緊張が緩んで行く。もちろん内臓やからだの全ての中身も『ゆ』るむ。からだはさらに重さに任せて深く垂れ下がる。

からだの体重や姿勢を支えるのは、筋力ではなく、骨の繋がりである。それも、骨格と呼ぶようながっちりと固定した構造物ではなく時々の姿勢(動き・運動)の様々な変化に応じて、自在に連携して新たに繋がりを作り出す、骨の力による。これが判らないとからだの力を抜くことが難しい。

骨の力を如何に利用するか。『ゆるみけーしょん』の大切な観点である。

一休禅師(いっきゅうさん)の骸骨の画を思い出す。人間の正体は骸骨だった!骨に負かせて「ひとやすみ(^O^)一休み〜♪)」

(前回の【肩凝り】、実は骨力を十分に利用できていないのを「肩肘張って」無理矢理に筋力=意志力で補おうとするのが一つの原因だと思う)






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2011年09月07日

【呼吸】+【3】 動きの中には『ゆるみ』があり、『ゆるみ』が動きを生み出す

【呼吸】

この姿勢でゆっくり息を吐ききってみる。(写真は『ゆ』の動画【3】より抜粋)

「ゆっくり」と云うのは自分でゆっくりと感じられることが大切。からだのことは主観で決めるべし。何分何秒と云う他律的(客観的)なスケールを当て嵌める可からず。私達は自分を他と較べて相対的に位置付けて、自分のことが分かったような気になって安心すると云う、悪い癖がある。

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さておき、この姿勢でゆっくりと息を吐いていくと、上体自体(胴体)の重さで下垂が深くなって行く。『からだは息を吐くと力が抜ける』ように出来ているから。

吐き切ったところで一旦軽く息を止めてみる。口や喉は閉じない。緊張させないこと。腹部の緊張感のみで息を堪(こら)える。

緊張を緩めると、息が入ってくる。今度は一杯になるまで息を入れて止める。このときに上体は自重に任せて下垂したままにしておく。息を吸おうとしてからだを持ち上げないこと。すると息の流入に合わせて、背中や後ろ腰・尻が膨らんでくる。膨らましたまま息を堪える。くれぐれも口・喉で息を止めないこと。

何度か繰り返し、慣れてきたら息の入る場所を後ろ腰のくびれのところ(写真のグリーン帯)に集中し、ここを一杯に膨らます。吐くときはそこを絞って凹ませる。

これが『ゆ』の深呼吸。『せなか呼吸』とでも名付けようか。

この姿勢では、胴体前面の胸郭(肋骨)や腹部を(腹筋)膨らますことが出来ない。そのため、息を吸い込みからだの内圧が高まると、からだの背面側が内側から押し広げられて、背中や後ろ腰が風船のように膨らむ。息を吐くときには、背中側が伸び広げられた分だけ、重力によって上体が下降する。呼吸によって背中の緊張がゆるんだ分だけ自然と深く前傾していく。(この場合柔軟体操の前屈運動のように筋力と弾みでもって手のひらを床につけるような緊張努力をしてはならない。)

さらに、写真では直接見ることが出来ないが、息を吐くときには、腹筋の引き締めと内臓の重力による下降によって、「横隔膜」(呼吸筋)が胸郭内に深く押し込められる。この姿勢で息を吐ききれば、横隔膜(筋肉)は最大限に引き伸ばされて弛緩する。息を吸い入れるときには、横隔膜(筋肉)が緊張して腹部を押し上げる。内臓の重さがその負荷となり横隔膜の筋力を鍛えることになる。息の深さとは、横隔膜の弛緩時と緊張時との高低差である。肺活量が多いことと息の深さとは一致しない。

結果、腰から背中の緊張がほぐされ(ゆるみ)、立ち上がったときに背筋がスッキリと立つ。努力せずとも立ち姿が美しくなる。猫背や姿勢の悪さを気にしている人がいるが、それは背骨(体軸)の廻りの筋肉が縮こまって固まっているから。意志(筋力の緊張努力)でもって治そうとしても草臥れるだけで効果はあまり期待できない。それよりも背中のこわ張りを緩めて、背筋が伸びたときのスッキリ感(快感!)を知ることが大切。

また、肉体労働をしないので、普段の生活の中、横隔膜が充分に活躍する機会が減っている。使われること無ければ筋肉は衰える。この呼吸は横隔膜を直接に刺激する。

「腹が決まる」「腰が決まる」と云うが、これは腹筋群と横隔膜・骨盤とが協調して腹腔を四方八方から引き締めた状態である。このとき、からだの重心が腹部に安定して落ち着き、からだの動きの土台(大地・地球)となる。横隔膜より上部の胸や肩・腕・首・頭はこの安定した土台の上に置かれ、姿勢の安定を取る苦労からは解き放たれ、自らの役割に専念することが出来るようになる。このようなからだの在り方を東洋身体観では、『上虚下実』と称んで理想とする。読んで字の如しである。深い呼吸によってその土台が作られる。簡単に言えば『姿勢を支えるのは呼吸である』。

なお、写真のグリーン帯の部分。ここが充分にゆるんでいないと伸縮ができず、呼吸は深くならない。赤ん坊が泣いているとき、その腹部は風船が張り詰めたり縮んだり、まるで鞴(ふいご)で空気を送るように、背中を含めた腹全体が滞り無く大きく動く。赤ん坊の呼吸が全身呼吸(理想の呼吸)のお手本である。それに比べて大人の場合はここがガチガチに固まっている場合が多い。腰がそっくり返っていては、息は深くならない。それにも拘らず、腹式呼吸を得意としている人には、ここを固めている人が多い。何故だろう?



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2011年09月11日

【自由自在】+【4】 『ゆるみ』 崩れ 流れ 動く

【自由自在】

この動きを野口体操や竹内レッスンでは「背中の百面相」と呼んでいた。百面相と云うくらいに、からだが実に様々な表情を見せている。

けれどもこれは百面相をしようと意識して動いてはいない。「ああしよう」「こうしよう」と頭で思い描いて動かしている訳でもない。その時々に「動きたいように動いている」だけだ。けれども、動きたいように動くって初めての人にはとても分かり辛いかも知れない。



「動きたいように動いて下さい」と云われると、たいていのひとが、回りの様子を伺ったり、どう動いたら良いか考えたり。そうしてから怖ず怖ずと動き出す。回りを伺うのも動きを考えるのも、からだの動きには違いないから、そうしたい(うごきたい)ならそれで構わないけど、そうしたくてそうしているのか?そうではなくて無自覚に、どう動かすべきか答えをさがしているのだろう。

答えを出してから動いたのでは、自由自在は不可能である。動きに先立って決められた答えの中に、動きが収められてしまう。自分で自由自在に動きたいと思いながらも、初めから「自由自在」と云う枠の中に自分を閉じ込めてしまう。これを不自由な「自由自在」とでも呼べばいいのか?頭がこんがらがる。

先ずはスターティングポジション。よつばいになって胴体の中身の緊張を緩める。首・肩・背中・腰の力を抜いて重さに任せて胴体をぶら下げる。息を深く吐く。自分なりに力が抜けたと思えれば好い。「スタンバイOK!」

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「いざスタート!」となるのだが、その瞬間が難しい。スタンバイでちからが抜けているので、動きだそうとする瞬間、無意識のうちにからだに力を入れようとしている自分に気がつく。「動くためにはからだに力を入れて動かさなければならない」と云う、脳に書き込まれた指令が自動的に(無意識に)発されるのだろう。そのまま動き出してしまえば、既に脳に描かれた地図や図式に沿って、からだをうごかすことになる。新たな動きや思いがけない動きの生まれ出る可能性は、あらかじめ閉ざされてしまう。

自我意識は、既に把握されている範囲の外にからだが動き出すことを嫌う。無意識のうちに緊張によるストップがかかり、それでも踏み出そうと意志するとき、高い緊張感に襲われる。こうなってしまうと、からだは固まり身動きがつかなくなり、普通はからだを動かすことを諦めてしまう。

ところが、私はここに新たな動きの誕生のチャンスをみる。緊張の次元の高まったとき、それはダムに水が満杯になったときと思えばよい。その瞬間に内圧を押しとどめようとする緊張(=からだの力)を一挙に抜いてしまう。ダムであれば水門を一挙に開く。

つまり、スタンバイの姿勢を崩すのである。支えになっている腕や脚の柱を外し、全体のバランスを崩してしまう。後は流れ出したからだの動きの勢いに任せて、「動きたいように動け」ばよい。その勢いはからだを駆け巡り、型にはまらぬ多様な動きとなってからだを内側から突き動かす。

自分を取り繕おうとする自意識は、からだの流れに溶け去り、動きと自己との区別や距離は無くなる。自由自在の喜びがある。

思う存分動いたら、ゆっくり休息のポーズ。
写真は「ネコのあくびのポーズ」。

yotubai01._02.jpg

【余談】
『動き出すためには緊張ではなく、力を抜くことが先ず必要である!』と大きな声で叫びたくなる。
私たちの脳みそには「動き出すために必要なのは力を入れることである!!」と書き込まれているようである。これはからだの事実と照らし合わせれば間違いである。動きが始まるためには先ず、それまでの姿勢や緊張状態(バランス)を一旦崩さなければ、新たな身動きは不可能である。信号待ちのときにでも是非試して見てほしい。歩き出そうとする瞬間、僅かだが脚腰のバランスを『ゆるめ』て崩してから、脚を進行方向に振り出していることを。さらに『動き出すためには先ず力を抜く』ことを意識して歩き出してみてほしい。歩き出すのがとても楽になる。



posted by セトジマミツル at 16:41| Comment(0) | ストレッチ体操 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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